top of page

~ episode zero ~ わたしがイメコンになるまで

更新日:2023年12月18日







ヘアメイクのスキルが生かせる
仕事ができたらいいなぁ〜。


20代最後の年、
通信での美容専門学校はもう卒業し、
ヘアセットの腕が
なまらないように続けながら、

錦のキャバクラに勤めていた。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 


わたしは、学歴のない、
田舎生まれ、田舎育ちの凡人である。

勉強はしない、できない、
幼少期は遊ぶことが好き。
ごくごく普通の、
男に囲まれて育った女。

高校は行ける学校。
家から近い学校。

進路選択は
美容に興味があるから
美容学校に行きたい!

理由は、何となく。

だから、親の反対にも
答えられないレベルだった。

美容師で生き残れるのなんて
学校を卒業した人の中でも一握り。
そんな弱い意思では無理。

って言われた気がする。笑

間違いない。笑
本当に、あの時
行かなくてよかったなと思っている。

❝ なんとなく❞
この感覚が感情型 (※エニアグラム)
の才能だったとしても、
反対してくれた母には感謝をしているし、

いつも親はわたしを反対してくる!!!!

この性格の摩擦が
今、心理学に興味を持てたことに
繋がっていると思うから。

母が公務員、保育士だったし、
中学の時に、職場体験で保育園に
行ったことがあるし。

そんな理由で、
とりあえず保育学科の受験した。
その短大は、
当時倍率が高い人気校だったので、
推薦で落ち、絶対受からないと言われたが、
一般受験の補欠で受かるという奇跡。

後で聞くと、本当に奇跡だったらしい。
マークシートでラッキーを起こしたのだろう。

それでも落ちたら経営学科には入れたし、
それでいいや。
それくらい、なんとも思っていなかった。

その後、保育士の就職試験も、
1番最初に受けた保育園。
倍率も高かったけど、
受かってしまった。
(すごく聞こえは悪いけど、
落ちたら美容学校に行きたいと思っていた)

誤解しないで欲しいのだけど、
短大の頃、
他の子よりも変な希望がなかったせいか、
挫折もなかった。
子どもの心理と向き合うことが興味深く、
実習成績はオールAだったのだ。

やっぱり、抵抗がないことって
簡単に上手くいくんだなって思うね。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


ちょっと遡りすぎた。
ここからは20代の話。


〜 保育士 〜

保育士の時も、給料は少なかったけど、
時間は決まっていたし、ボーナスもあって。
日曜日と祝日、
土曜日も月に2回は休みがあった。

得意な音楽を生かしたり
発表会や作品展、
イベントごとは大変だけど、
子どもたちと過ごす時間は宝物で。

本当にやりがいのある仕事だった。

この経験は間違いなく
今のわたしに生きているし、
今後、子どもの教育にも
何かしらの形で貢献できる
未来があったらな、と心の奥底で思っている。

3年で一人担任が経験できたことを機に、
また戻ってこれるし、若いうちに、
と、親には内緒で辞める決意をして。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈



〜 ヘアメイク 〜

保育士を辞めた後は、
ローンを組んで、
ヘアメイクの学校へ行くことにした。
結局、最初の学校は
1ヶ月で辞めてしまったけど、
ヘアメイクの現場で働くことになった。

そしてヘアメイク2つ目の就職先。
最もお金がなかった。
朝から終電まで働く毎日で、

ある時同期と計算をしてみたら、
時給350円くらいだったかな。

愕然としながら爆笑していた。
目の前にある、すき家の方が稼げるねって。

交通費もなかったし、
ボーナスももちろんないし、
掛け持ちができる時間もなかった。

でも、
ヘアセットのことは鍛えられたし、
厳しいからこそ、
学んだことは本当に沢山あった。
この経験も、今では感謝しています。
そして、とってもいい思い出。笑


可愛くてわがままな
キャバ嬢たちの接客を毎日して。

時には、
推し活で押し寄せる女子たちの
ヘアセットをして。

その職場を辞めた後は、
フリーで地元のキャバ嬢の
ヘアセットをして働いた。
手に職ってやつかな。

その後、
美容専門学校に行こうと思った時、
そのお金もないし、
じゃあ、わたしもキャバ嬢になろう。
そうしてキャバクラで働いた。

もちろん、親には内緒で。
だって絶対絶対絶対に!!!
反対されることがわかっていたから。

(これを読んでいる母、ごめんね。笑)


時給350円のヘアメイクから
時給8000円のキャバ嬢に。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


〜 キャバ嬢 〜

遊ぶように働く。
お店の女の子と喋って、ご飯食べて、遊んで。

昼夜逆転の生活。
親にも内緒だったし、
中途半端にコソコソと働く時代。

水商売は偏見を持たれるし、
だらしがない部分も確かにある。
でも、本氣で働く人にとっては
プロフェッショナルな仕事。

もちろん、こんなわたしは
舐め腐っていたから、
たいした仕事を成し遂げることはなかった。

ただ、可愛い人、綺麗な人に
囲まれる環境に身を置いた経験により、
圧倒的に外見は磨かれていった。

ヘアセットをする側から、
してもらう側になった時、
ドレス選びにしても、
いかに自分が美しく見えるか?

ヘアメイクをしていたからこそ、
その視点は鋭く、
磨かれていった。

撮影現場においても、
ヘアメイクでサポート側を経験し、
キャバ嬢で撮られる側も経験した。

毎日ナイツネットというブログを
書くのもわたしは好きで、
自撮りも毎日毎日撮っていた。

自分の魅せ方と、表現する力というのは
その後のSNS発信へとつながるものだった。


中庸で言うところの、
過剰時代。
毒になる嬢ではあったけど、
わたしなりにスキルは得ていてよかった。笑


30歳になったらやめる。
そう決めていたキャバ嬢。

ヘアメイクのスキルが
いかせることないかな〜

またセットサロンじゃ
ほぼ夜型だしな…

そんな時、

パーソナルカラーという情報が
わたしの中に飛んできた。

気になるな〜。

調べてみたら、
いつも一番上に上がってくる
アメブロのサロン。

予約を見てみたら、
3ヶ月先まで満席。

今、すぐ!なう!
行きたい性分のわたしには、待てない。

問い合わせてみたら、
今月プロ向けの講座がありますよ。
と返信が来たので、
そこで勉強もできて、
自分のことも分かるなら、一石二鳥!

じゃあ、そっちで♥︎

それが、わたしの初めの一歩でした。


行ってみたら、
パーソナルカラーと
骨格診断というものがある。(なんだそれ。)
それに加えてメイクも教えているではないか!

え!こんな仕事があるんだ!

気になる!
一般の人にメイクが教えれるなんて!
そんな仕事あるの?
わたしのための仕事なんじゃない?

そう思ってました。笑


ヘアメイクの時は
ブライダルのメイク、撮影の仕事で
一般女性のメイクの予約って
ほぼないんですよ。

ヘアセットには来るけど、
メイクは自分でするからね。

パーソナルカラーを学んだあと、
交通事故に遭ったこともあり、
スローペースで
骨格診断の資格を取得し、
カラーの1年後に、顔タイプ診断を取得。

その半年後、
リハビリを終えるタイミングを期に
イメコンとして活動を始めました。


今からちょうど、5年前。
10月のことです。




episode one

続く…
















閲覧数:4回0件のコメント

最新記事

すべて表示

~ episode one ~ イメコンになった時

今回は、 イメコン時代。 下準備から売れるまでの物語。 5年前、31歳の10月。 リハビリ生活を終えたことを機に、 1年半もかけて学び温存していた イメコンとやらになることにした。 イメージコンサルタント という言葉も、当時そう知らず、 【 何かカッコいい!!! 】 という震えで、 肩書きは❝ イメージコンサルタント❞ と名乗ることにした。 本当はマナーまで教えることができないと いけないとか何と

bottom of page